ご訪問ありがとうございます。
この度、ミステリドールのスカウトに成功しました。
以前手に入れたミステリドールの書が、どうぐぶくろに「しまいっぱなし」になっていたので、整理の意味でも使っちゃいました。
つまりこのミステリドール君は、積極的に求めた戦力ではないのです。その意味で不純な動機でのスカウトですが、しばらくはペット(?)として育てていきたいと思います。そのうち何かに役に立つかもしれないし。
ちなみに名前はオルミステル
オルセコでつかまえたミステルなので、このように名付けました。
我ながら相変わらずの短絡的発想です。
いくら短絡的思考の僕でも、これだけで記事が終わるのは流石に手抜きかな?
せっかくなのでこの機会に、以前から僕が気になっていたことについて触れておきます。モンスターが仲間になるシーンについてです。
ドラクエで戦闘シーンが終わると、仲間になるモンスターはこんなしぐさを見せますね。DQ5からの歴史あるシーンです。
考えようによっては、死闘を繰りひろげた直後の相手と仲間になりたいなんてちょっとおかしいですね。
この点、ものの本によると、そんなモンスターの「きまり悪いきもち」を表すために、わざとこちらをみているだけという消極的なしぐさにしたそうです。
(※参考文献)
ドラゴンクエスト30thアニバーサリー ドラゴンクエスト名言集 しんでしまうとは なにごとだ! /原著 堀井雄二 (SE-MOOK)
- 作者: .,スクウェア・エニックス
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2016/07/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この本を読んで、いったんは「へ~、なるほど」と思った僕。
しかしその後すぐに新たな疑問が。
「おい、おまえ俺に殺されたはずだろ!なんですぐに起き上がんねん?」
この疑問については、上記の本には答えはありませんでした。ググってみても「これ」という答えは見つかりません。
そこでこの際だから、自分で好き勝手に仮説を提示してみることにしました。
※インできないので、昔の画像を引っ張り出してみた・・
① 実は殺されていない説
そもそも心優しい冒険者は、モンスターの命まではとらない
(ただし凶悪なボスは除く)
DQ5でモンスターじいさんから言われた「モンスターへ愛を持って戦う」という姿勢に忠実に従うとすれば、このような考えが素直かもしれません。
しかしモンスター討伐の社会防衛機能を重視するなら、戦闘終了後にすぐに起き上がる程度のダメージを与えるだけでは手ぬるすぎます。とくにDQ5においてはDQ10と異なり、戦闘終了後までどのモンスターが仲間になるのか特定できません。そんな戦いにおいてモンスターを全て生かしておくと、仲間にならなかった敵が跳梁跋扈し、世界の安寧が保てないです。
そう考えると、モンスター討伐では、基本的に敵を殺さざるを得ない(少なくとも二度と戦えないくらいに痛めつけるべき)といえます。
その意味では、冒険者が「すぐに起き上がる程度」のぬるい攻撃をしていることを前提とした①の説は採りにくいですね。
この考えを補強するものとして、冒険者が戦闘終了後、敵の持っていた財物を手に入れるシーンがあります。
これは、敵がやっつけられて存在しなくなったから実現できた、と考えるのが自然でしょう。生き延びた敵から脅し取ったといった強盗まがいなシーンは、RPGにおいてはあまり想像をしたくないものです。
② 魂が浄化されて生きかえった説
戦闘終了後にモンスターはいったん死ぬ
しかし冒険者の攻撃により浄化された魂が再び宿ることで生きかえる
上記のように考えると、やはり戦闘終了後は敵はいったん死んだものと考えます。
その後すぐに起き上がるのは、何者かによって蘇生されたからでしょう。
そもそもドラクエの世界では、死んだ後すぐに生きかえるのは珍しいことではありません。ウエスタンだって今まで何百回と死亡しましたが、すぐに教会で生きかえります。
そしてこの図式はモンスターの世界にもあるのではないでしょうか。
フィールド上でモンスターを倒すと、すぐに代わりのモンスターが湧いてきます。
巷では「湧く」という表現をしていますが、これは倒されたモンスターが生きかえり、再び野に放たれていると解釈することも可能です。ちょうど主人公が教会で生きかえるように、悪を生産する存在(DQ10でいうと大いなる闇の根源?)によってモンスターも生きかえるのというわけ。
そもそもモンスターが自然発生的に湧くのであれば、敵を倒さなくても無制限に増殖し、フィールドにモンスターが埋め尽くされるはずですが、実際はそんなことはありません。常に存在するモンスターの数は一定です。
この現象は、倒されたモンスターが生きかえったからと考える方が説明しやすい。
一方、モンスターの中には、再生できないものもいます。
これは再生できない代わりに特殊な能力(桁外れの戦闘能力やHP)を付与されたモンスター種といえるかもしれません。いわゆるボスキャラがそんな存在といえます。
話がそれてしまいまいました。仲間モンスターの話でしたね。
つまり通常なら冒険者に倒されたモンスターは、悪の根源によって再生されるはずなんです。
しかし主人公に一定条件の下で倒されたモンスターは、魂の浄化がおこり、もはや悪の根源のもとではこの世界に呼び戻すことができないシロモノになってしまいます。
となると、あとは我らが創造主の出番です(DQ10でいうとルティアナ?)。浄化された魂をみた創造主は、「これからは冒険者とともに生きるのです」といわんばかりにその魂をもとの肉体に戻します。いわば一種の転生が起こるわけですね。
冒険者とともにPTに入るようになったモンスターは、「生き直し状態」なのでレベルは1からのスタート。しかも闇の力を失うので、HPなどのステータスは、敵として戦っていた時代よりも格段に下がってしまいます。
ちょうどDQ10において、他種族として生まれ変わる主人公のような状況になるわけですね。
そんなわけで、いまのところモンスターが仲間になるシーンについては、②のように考えて自分を納得させています。
しかしこの説によると、冒険者がそのモンスターを仲間にしなかった場合を想像すると、ちょっと悲惨ですね。
冒険者と仲間になれなかったモンスターは、元のモンスターと一緒に生活することもできずに、フィールド上で隠れるように孤独に生活することになるでしょう。なかには一部のスライムのように町の中に溶け込んで「ボクわるいスライムじゃないよ~」と言いながら善良な市民生活を送れるものもいるでしょうが、そんなのはほんの一握り。
多くの場合、行き場を失ったモンスターは、闇の力を失い弱体化したまま野に放たれ、惨めな生活を余儀なくされます。次第に彼らは気持ちが荒んでいき、闇の力が増大していくことでしょう。そしていつの間にか元のモンスターの戻る・・。そんなストーリーが浮かんできてしまいます。
なんだかこちらとしても、むげにモンスターの仲間入りを断れなくなりますね。
こう考えると、手あたり次第に仲間モンスターのきっかけをつくるDQ5よりも、スカウトアタックで仲間にしたいモンスターだけ狙うというDQ10の方が、ある意味「人道的」な気もしますね。
行き場を失った「改心したモンスター」を量産するよりは、いっそ悪の存在として全うした方がモンスターにとってはしあわせなのかもしれないからです。
それとも、やはりDQ5のようにできるだけモンスターを改心させ、その後の苦しみは「前世の報い」として受け入れさせる方が正しいのか・・?
仲間モンスターの人生を掘り下げていくと、犯罪者処遇論のようになってきてしまいますね。話がややこしくなってきたところで、今回はおしまい。
それでは、また。