ご訪問ありがとうございます。
今回は、ドラクエの金策について思うところを少々記しておきます。
きっかけはこのハレサ氏の記事。
まあ早い話が、ハレサさんの便乗記事ですw
この記事は金策自体を楽しめるようなゲーム設計を提唱してます。
この記事の大まかな趣旨は
・ドラクエをはじめとするゲームは、現実と違って『やりたくないこと』から自由であるべき
・それは金策でも変わらないことでゲームの金策はそれ自体が楽しみであるべき
・金策を楽しみにするためには、金策の選択肢を増やして、いろいろなプレイが金策に繋がりやすい制度設計をすべき(「必要悪」で金策をする事態を避けるべき)
というようなこと。
この記事を拝見して「わが意を得たり」と思いましたね。
金策がなぜ苦しいのかというと、例えば「いい武器がほしい」という目的を達成するために必要悪で行うルーティンであるという意識があるから。
これを改善するには
・そのルーティン(と言われるプレイ)自体を楽しむ
・ルーティンにならないような金策方法を作り出す
ようなことが必要になります。前者はプレーヤーの意識、後者はゲーム制作者側の意識として必要なものでしょうね。ハレサ氏はどちらかというと後者の視点から論じています。
ただ僕は、この二つの視点のどちらが欠けてもダメだと思うんです。
仮に金策の選択肢を増やして楽しいコンテンツで金稼ぎができたとしても、そのコンテンツに対する関心が薄れると、次第にプレーヤーは「金のために」プレイするようになる。そうするとやっぱりそのコンテンツはルーティンになっちゃうんです。
そんな「いたちごっこ」にならないようにするためには、プレーヤーとしても、「金のため」だけではなく、今やっているプレイそのものを楽しもうというポジティヴな気持ちが必要になるはず。
僕なんか、単なる盗み金策だってやってて楽しいですからね。
金額だけを考えたら、盗み金策は必ずしも効率的とは言えません。しかし高額素材を見つけて売り抜けたときはちょっとした達成感がありますし、素材以外に白宝箱のような副次品を考慮して獲物選びをすることも楽しみの一つです。
むろんみんなが盗み金策を楽しめと言っているのではなく、あくまでたとえ話です。
つまりプレーヤー側も「楽しむ努力」みたいなものがある程度必要ということ。こうしてブログをやってたまに金策のことを書いているのも、金策をより楽しむためですからね。
ちなみに、現実社会での金策は、必要に迫られて「いやいや」やらざるを得ない場合が多いですが、人にとってはそうでもないようです。
例えば、堀江貴文の本なんか読んでいると、この人は人生を楽しむコンテンツがそのまま金策になる人生を提唱しています。
(※これ、アフィじゃないですよ?)
さすがに堀江氏みたいな生き方はできないし、するつもりもないけど、ドラクエも現実もその人の気の持ちかた次第で、金策が苦しくも楽しくもなるんだなあ、と思いますね。
それでは、また(^^)/